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須野田誠早稲田アカデミー社長逝去の報に接して 池田が公共工事の入札価格が高すぎるという思いを持つきっかけはやはり早稲 田アカデミーさんでの工事の受注の経験からだ。厳しく須野田社長からは経費削 減の要求を求められた。今では経営にはタッチしていない元自分の会社での持続 する経営の進め方、そして自立する都市へと進めなければならない自治体経営に 対するスタンスも元はと言えば須野田さんから学んだものだ。28年近く会社とし てお引き立てを戴いただけでなく、個人的にも親しくさせていただいた須野田さ んに哀悼の思いを捧げ今後も自分の道を間違うことなく進んでいく道しるべとし て記録しておこう。 須野田さんとの想い出 投稿者:ハリー 投稿日:2008年 5月23日(金)23 時17分17秒 須野田さんとの想い出 20080521の真夜中12時に早稲田アカデミー社長須野田誠さんが急性心不全 で亡くなった。母が去年なくなった時にも中国で今回もモンゴルからの帰る途中 でした。メールで知らせを受け取ったのが23日今日の9時43分。一瞬呆然とし た。まさか。とりあえず早稲田アカデミーさんに電話、逝去されたのが事実だと 言うことを確認した。T本部長に電話しても話し中、K部長も話し中。奥さんに電 話したらつながったとたんに何を話して良いか分からず今日は密葬であること社 葬を行うことを話して貰って電話を切った。何だか涙があふれて仕方がなかった 。自分で立ち上げてきたシステム販売株式会社は早稲田アカデミー須野田誠さん との出会いが無ければ29年もの間続けていることは出来なかっただろう。 須野田さんが南阿佐ヶ谷のマンションの一室で早稲田大学院生塾を初め て間もない頃だったと思う。池田はセイコーエプソンの会計スモールビジネスオ フコン200万円くらいだっただろうか。なんとか貸出をして価格交渉を受けたとき 自分一人で会社をやっているとは言えないので自分の実家で留守番をしていた祖 母に電話をかけて価格の了解を取るふりをしたりして、須野田さんにはお見通し だっただろうけれど買ってくれた。私が運を運んだのだと冗談交じりに話したこ ともあるくらいその後の院生塾の急成長は目を見張るばかり。最初に取引してい たコピー販売店と競争し、須野田さんが奥さんに聞いた。Ohさんにするか池田に するかと。そのとき奥さんの一言で池田にして貰った恩義は忘れられないことだ 。 その頃の規模はそれほど院生塾さんとも変わらなかった。須野田さんが ダイナースカードの審査に通らなかった時に池田が通ったのも少し誇らしかった 。しかしその後の須野田さんの社員教育の天才的な能力には全く足下にも及ばず 、社員教育の場に自分の会社の新入社員も参加させて貰ったこともなつかしい。 須野田さんにはよくしかられた。池田は話を聞いていない。池田は自分 の社員をしかれない。怒るのではなくしからなければダメ。言われても出来ない 池田は相変わらず零細のまま29年を経て。人を育てることが出来る須野田さんは このように一代で2部上場まで急速に昇り続けてきた。 25年ほど前、息子が10才小学校5年生の時に須野田さんと社員の人とへ んな4人で与論島まで遊びに行ったのも楽しい思い出。今30を越えた次男が中 学生の時、須野田さんと奥さんと5人でオーストラリアに行った。スキーもゴル フも須野田さんと一緒に始めた。ゴルフは須野田さんのほうがはるかに上手くな ったようだ。一ラウンド3000円くらいでできたオーストラリアでのゴルフ、ドリ ームランド。須野田さんのセリカで箱根にドライブしたことも、ベンツで池袋か ら東久留米まで送ってもらってかえってトラックの与太者に因縁を付けられベン ツのボンネットに乗っかられ随分修理代がかかったこと。土地バブルにつき合わ せて迷惑をかけたことも須野田さんは自分で判断したことと言って決して池田を 責めるような口ぶりがなかった事には返って恐縮した。 年齢は3つ若いが経営者としては大先輩である須野田さんが身近にいた のにその貴重なアドバイスは企業としての拡大なども何度も指摘された。池田の 経営者としての資質が欠けているからで須野田さんのアドバイスの多くを自分の 経営に生かすことが出来なかったのは恥ずかしい。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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池田さん。わたしはまさにその頃南阿佐ヶ谷の「早稲田大学院生塾」で須野田先生に大学受験で個人的に教えてもらっていたものです。私も同様涙が止まりませんでした。先生のたくさんすぎる思い出の持ち主です。「俺が生きているうちは絶対ナイショだぞ。」ということを聞いたり,私の悩みを聞いてもらったり、もちろん勉強だけでなく。何年かして先生がセリカを買った時、先生に助手席に乗せてもらいました。「まだ恐いから近所のファミレスな」とおっしゃり、二人でハンバーグを食べました。結婚の報告をした時もその時でした。池袋に移られ「困った時には連絡しろ」と言われたのが最後でした。直通の電話番号も知っていたのに、何回かかけてもいつも来客中や話し中。「ああもう自分のことなんか忘れちゃってるのかな?忙しいのは元気な証拠」と思っていました。私も46才になりました。娘も小5「相談できないじゃない!うそつき」あーまた泣きそうです。 今は主婦をしています。 |
あいかん 2008/05/29 11:21 |
6月20日12時40分芝公園の増上寺で須野田さんの社葬が行われます。 |
ikedaharuo 2008/06/14 18:13 |
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