梅原猛「日本思想」山川均思想、石堂清倫著作

 光文社の「日本思想という病」という本。梅原さんの「日本思想」とは大違いだが、まいろいろな人の思想を並べてよく知っているぞという話。そもそも日本思想ではなく西欧思想をどう受け止めたのか、それと国粋主義の相克の話。梅原猛さんの思想は当然、京都学派になるのか。と知った。それを肥やしに超えた思想だろう。京都学派が西田幾多郎からうまれ、「無の世界を生きてきたのが日本」「原始的に見えて実は近代の後を受ける究極の解答」という点にあるらしい。なんとなく梅原猛になってきた。日本的な哲学思想はそこに行き着く点には、この本の執筆者たちは行き着けず解説本の域を出ない。
 石堂清倫「わが異端の昭和史」HARRYが卒論でとりあげた山川均を同時代で生きてきたトロツキーの評伝を書いた(訳した?)人。「スターリンのどこがマルクスやレーニンの延長にあるのか疑わしい」と学生時代の石堂は感じたと書いている。HARRYの少ない読書ではスターリンの国家論はレーニンの国家と革命のそのままのコピーとしか思えなかった。スターリンはきわめて忠実なレーニン主義者だ。むしろや山川均がレーニン主義はロシア的マルクス主義と批判的に見ていたことのほうが受け入れやすかった。この本では山川均は合法主義として非合法が正しいとする当時の学生、東大共産党に受け入れられなかった。山川の共同戦線党の思想は合法主義として似非革命主義者たちから排斥された。戦後の転向論全盛のなかでどちらの道がまともな革命への道かは福本破産主義よりも山川合法主義の道が政権を実現したがその主体を担った高橋正雄や森戸などの社会主義者たちが戦後高級官僚になり旧来の権力と同じ自己の権力を守ること国民に利権を小分けすることで抜き差しならない財政破綻の迷路に迷い込むのは当然だった。政治家の使命は減税だという意識持たない政治屋では財政膨張主義利権ばら撒き主義はとどまるところを知らない。
 山川の思想は一定の成果を上げたが、権力を取れば人間は変質するという「業」は変えることができないのか。
20120419追記:石堂清倫さんの「わが異端の昭和史」読了。トロッキー伝で見かけた名前と思ったのは勘違いだった。戦前の共産党から転向した構造改革派の論客の話までは上巻では行かなかったが山川均に対する批判と思いは興味深かった。満州へ行く経緯、敗戦直後の左翼の満州での存在。なかなか興味深い。五味川純平や近衛文麿、尾崎秀実がゾルゲと知り合う経緯と交流など戦前の人物交遊録も面白い。尾崎がゾルゲをナチの記者として紹介され嫌がっていたことなど、後には左翼として心を許したのだろうとは感じられたが石堂はそこは書いていない。

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