島田叡あきら元沖縄県知事「沖縄の島守」追慕 今も20150619記事から

20150619産経新聞「沖縄の島守」追慕 今も 島田元知事の顕彰碑 26日除幕
 島田氏は大阪不内政部長だった昭和20年1月、沖縄県知事の内示を受けた(当時知事は官選だった)。
那覇市は十十空襲19年10月10日と呼ばれる大空襲で市内の9割が消失。米軍の上陸が予想された沖縄に行くのは死地に赴くようなものだった。前任の知事は出張と称してそのまま本土に帰り、島田氏の前に後任として名前が挙がった官僚も断ったという。
 「俺が死にたくないから誰か行って死ねとはいえない」島田氏は家族の反対を押し切り20年1月31日、単身沖縄に着任した。 米軍の本島上陸のわずか約2か月前だった。
 当時、27歳で県庁人事課にいた板良朝基さん(97)は  以下略 この記事がネットで出てこないので一部引用した。

 この記事でわかるのは、今の沖縄県知事が宣伝しているような本土と沖縄の分断状況ではなく、青山繁晴さんが言っているような本土と沖縄の連帯した友情と生死を共にする強い連帯の思いで本土のサムライたちが絶望的状況の中で自分のできることに全力をかけたという事実に他ならない。
 当時の軍部の戦略的誤りを責めるにはどれだけ責任の追及をしても尽きることはない。しかし真摯に沖縄の人々と一緒に死地に赴いた多くのニッポン人も少なからずいたことを本土の私たちも沖縄の皆さんと共に忘れないでいたい。

 島田元知事の消息が絶たれた摩文仁の丘は沖縄戦最後の地。多くのニッポン人たちが最期を遂げた地だ。

https://plus.google.com/u/1/photos/114607791029559161037/albums/6102466961671673313
 これは今年の一月沖縄の戦跡を巡った記録です

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