南方火徳星君神 毎月31日の守護神

過去帳で31日の守護神?仏?の名前が火災の神としか知らなかったのでこの項目を見つけたので記録しておく。
三 足利一族の奉じた神々 http://wkmseton.d.dooo.jp/seoto/sot03.html   

 足利一族の信仰した神々が何であったかを知る手掛かりとして、福永光司著の『道教と古代日本』の次の一節が、まず始めに参考になるだろう。

「・・・わが国で一部の戦国大名の間に行われていた南方火徳星君信仰もまた、仏教の星信仰と道教のそれとの習合されたものと見ることができます。たとえば山口県に現存する大内氏や毛利氏の菩提寺ですね。菩提寺ですから基本的には仏教であり、位牌などもちゃんと仏教式のものになっておりますけれども、位牌の両側一メートルから一メートル半ぐらいの高さの木柱を立て、その二本の木柱の表面を平らかに削って黒く塗り、向かって右の木柱の上に金文字で『南方火徳星君云々』と記し、左の木柱の上に供養する祖先の殿様の名前が書かれています。富山県高岡市にある前田家の菩提寺でもこれと同じものを見ましたが、南方火徳星君というのは五行の南方に配当される火の神さまであり、これは生命の蘇り、もしくはあの世での生活の安全を保証するという、そういう天上世界の星を神格化した道教の神さまです。」(第二一四~二一五頁)

 そして、この南方火徳星君の信仰を更に古い形で日本に持ちこんだのは、天武・持統のカップル天皇だという。

 古来日本の支配者層は、大陸から陰陽道、道教、仏教を導入し、その宗教行事を通じて政治基盤の強化を図ってきた。『日本書紀』には、陰陽道の伝来についても多くの事跡が記録されている。例えば、最も古い記録として、継体天皇七年(五一三)七月、百済から五経博士段楊爾(だんようじ)が学者人材として献上されたとある。又、陰陽道は学問・技術より宗教色の強いものとして、呪術的宗教になじみの深い日本人に受け入れられ、崇仏排仏の政治的対立に利用される形で生き残り、崇仏派勝利後、新しい政治体制の権威づけや理論づけに積極的役割を果たすようになる。聖徳太子は仏教の理解者であるとともに、陰陽道の精通者でもあり、冠位十二階、憲法十七条の制定、国史編纂を通して陰陽五行説、讖緯(しんい)説をその政治理念として導入したという(村上修一著『日本陰陽道史話』朝日カルチャーブックス-71 大阪書籍発行 第十四頁「陰陽道の日本伝来と聖徳太子の政治的受容」の節参照)。

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